こんにちわ菊乃です!
3歳になる娘がアナと雪の女王にはまっておりまして、
ブームだから子供が好きなのかな?と他人事だったのですが自分の子供がブームが去った後ハマっているのをみてやっぱりディズニーはすごいなぁと感心しております。
大人も子供も楽しめますね〜。
さてさて、今日は節分の日ですので、節分の日にちなんで
日本でいう「魔」の役割をする「鬼」について仮説を説いていこうと思います!
節分の歴史
現在2月3日にお子おなわれている節分ですが、ルーツを遡ると平安・南北朝時代まで確認が取れるようです。もともとは年に4回ほどあった節分。日本昔話でもよくとりあげられている「鬼」が家に入ってこないように魔除けの意味があります。
さて、普段は豆をまいて豆を食べて終わるこの行事ですが、なぜこんなに長く続いているのか気になることはありませんか?
また菊乃は昔話や行事にでてくる「鬼」って何?と昔から気になっていたのでこの機会に考察していきたいとおもいます。
鬼は邪魔者の象徴
さて、日本昔話や神社のルーツを研究していると、大体が平安時代や建国時代まで遡ります。日本の歴史を紐解いていくと、大まかに言うと「征略」です。
そして人々を統一していくのに必ず「悪者」という設定が必要なのは、日本に限らずほとんどの国の王道手段です。
さて、そこで日本の歴史に邪魔者だったのは「蝦夷(えみし・えぞ)」というもともと東北地方で大きな勢力を持っていた豪族です。征夷大将軍とか聞いたこともありますよね。
日本の歴史ではこの先住民の「蝦夷」を「鬼」とみたてて迫害していった歴史ではないかという説があります。
蝦夷は鬼として表現されることがよくあるのです。
蝦夷
蝦夷(えみし、えびす、えぞ)は、大和朝廷から続く歴代の中央政権から見て、日本列島の東方(現在の関東地方と東北地方)や、北方(現在の北海道地方)、(現在の樺太)などに住む人々を異端視・異族視した呼称である。
中央政権の征服地域が広がるにつれ、この言葉が指し示す人々および地理的範囲は変化した。近世以降は、北海道・樺太・千島列島・カムチャツカ半島南部にまたがる地域の先住民族で、アイヌ語を母語とするアイヌを指す。
大きく、「エミシ、エビス(愛瀰詩、毛人、蝦夷)」と「エゾ(蝦夷)」という2つの呼称に大別される。出典;Wikipedia
蝦夷は精神的に優れた血族
蝦夷というのはもともと精霊と契約をしていたという風習があり、土地や自然と共存していた族と言われています。そしてその蝦夷族を迫害し・追いやる過程で朝廷が恐れたもの、それが
「怨霊」です。
ですので日本は「鬼退治」という迫害を推し進める一方で「怨霊信仰」として怨霊を鎮めるために神社仏閣を建てます。
蝦夷・出雲なども元々の豪族ですが、「国譲り」という多分、征略を推し進め、日本神話に話が加算されていきます。
余談ですが、日本の神様はご先祖様という話をしたことがありますが、その土地・その土地の豪族のご先祖様に誰しもが縁があります。
自分が居心地が良い神社・何故か縁のある神社のルーツを調べるともしかしたらご先祖様に行き当たるかもしれませんよ!
邪気払い
さて迫害というのをオブラートに包んだ結果が「邪気払い」となったと思います。色々な説がありますが、豆まきに使用するのは「炒り豆」ですよね。
これ普通に人に当たったら痛いです。
鬼が目に見えない存在と過程しているのなら「塩」でも良かったのでは?と思いますが「炒り豆」を投げるあたり、実在する者に対して投げて追い払っている様子が伺えます。
赤鬼
蝦夷(えみし・えぞ)はもともと愛瀰詩と書いていたものが、毛人、赤頭というように呼ばれいきます(だんだん迫害色が強くなっていくのが呼称でわかりますね)
そしてこの赤頭やえぞの読み方がエビなどの甲殻類を連想させることから髪の毛が赤かったことが伺えます。ですので赤鬼というのは本来、顔が赤いのではなく「髪の毛が赤い」という意味が民衆に広められていくうちに全身が赤くなっていったものだと考えられます。
青鬼
では青鬼は・・「出雲」か?と簡単に考えておりますが、まだ仮説を立てられるほど研究してないのでまた確信がもてたらご紹介したいとおもいます!
神になった出雲と迫害された蝦夷
神武天皇の東征という言葉があります。九州に降り立った神武天皇が東にむけてどんどん侵略を進めていく話です。(悪いわけではないですが事実上とおもってかくとこの表現になります)その過程で「出雲」神として扱われ、蝦夷は「鬼」として扱われていくことになります。その違いは何だったのか。まだまだ調べることが多くて人生足りるかわかりませんね!
伝統行事に日本のルーツが
上記の考えは菊乃の考えですので「絶対こうだ!」というわけではありません。妄想の範囲ですがこうやって仮説をたてて、それを検証するために旅をしながら「神社・日本研究」をするのが菊乃の趣味です♪